埼臨技会誌 Vol.70 補冊 2023_電子ブック
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52の場で合格証明書を頂いてきた(今はそんな学校無いよな…).【学生生活】 バラ色を夢見た学生生活は???前記した先輩が通う都内の大学とは全く異なり,むさっ苦しい男性が半分以上…それも,どう見ても医療系に進む面構えのないものばかり(私もか!?)で,そういった連中と毎日,酒,パチンコ,麻雀で,ウハウハ・パラダイスとは縁遠い学生生活を送っていた.その結果,成績は全くで2年の前期で留年ほぼ決定となってしまった.しかし,心機一転して勉強して何とか進級し,無事,病院実習に行くことができ,その後はそれなりの上位成績を修めて国試受験にたどり着いた.【就職活動】 3年次の成績は本当に上位だったが,通算成績は平均されてしまうため,遊んでいたことが最後まで付いて回り,中の上位.そうすると,いわゆる指定校推薦のような制度があった良い就職先は成績順で決まってしまっており,私にそのおこぼれが回ってくる可能性は0に等しかった.よって,私は受験組となったが,成績以外の理由もあって全滅(筆記はトップだったのだが…),仕方ないので実家に戻って一番嫌であった親コネでどこかに潜り込むことを考えていたら,教務主任から「浦和医師会メディカルセンター」ってとこで,一欠になってるからオマエいけ!と電話が来て,そのまま面接に行って採用となった.ちなみに採用試験は面接だけであり,その内容は,雑談&「酒飲むか,タバコ吸うか,彼女いるか」と信じられないものだった.恐る恐る,他の試験は無いのですか?」と面接してくださった技師長に聞いたところ,「成績書見たけど,試験やったら落ちるだろ!」と言われて,妙な納得感を抱いたのを覚えている.【就職後】 無事就職ができて生化学検査科に配属となり,5月に国試合格の通知が届き(昔は発表が遅かったのだ)目出度く常勤採用の辞令を頂戴した.そして,その後,色々あったが,定年まであと一年となる現在も浦和医師会メディカルセンターで勤務を継続している.【対外活動】 当時の技師長は,とにかく,勉強しろ!勉強しろ!外に出ろ!という方で,副技師長はそれを快く応援してくださる方だった.そのおかげで,若いうちから多くの経験をさせてもらった.埼玉日立ユーザー会(これが対外活動の第一歩),埼臨技インターネット委員会(これが最初の技師会活動です),臨床化学検査研究班(班長まで務めさせていただきました),学会実行委員会(何回も!),各種委員会(数えきれない),全国学会の会場部長,関東甲信地区臨床化学検査研究会代表,埼臨技理事・部長・副会長・会長,日臨技理事・執行理事,他学会の評議員・理事・常任理事,技師養成校非常勤講師,県や市や県医師会の委員,その他もろもろ…本当に色々な経験をさせてもらった.【人との出会い】 学校の先生から職場の面々から始まり,医師会,技師会,行政,他団体,企業・・・お世話になった方,いまも面倒を見てくださっている方,自分を慕ってくれている方,名前を書いたら,それだけで紙面は一杯になってしまう.多くの活動の中で沢山の方と出会い,その結果,人間的に成長できたと思っている.【見えない出会い】 出会いとは直接会うことだけではなく,会わない出会いの方が大切だと思っている.私は,

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